競輪界と競馬界の巨人、日本競輪選手養成所の神山雄一郎所長と〝世界の矢作〟こと矢作芳人JRA調教師の対談が実現した。各業界に偉大な足跡を残す2人が見ている世界はどういったものなのか。神山所長は昨年12月の引退後、競輪選手を育てる立場になり何を考えているのか。また、大の競輪ファンである矢作調教師は競輪選手〝神山雄一郎〟の姿をどう見ていたのか。
――矢作先生は、神山雄一郎(61期)という選手の引退をどのように感じましたか
矢作芳人調教師(以後、矢作) ありがちな言葉かもしれないけど、一つの時代が終わったな、って感じました。長い競輪ファンなので、中野浩一さん(35期)、井上茂徳さん(41期)、滝澤正光さん(43期)の時代が終わり、神山君と吉岡稔真君(65期)の時代があって、その時代が神山君の引退で終わったな…と。獲得賞金であり、GⅠ優勝、記念優勝、もちろんグランドスラムもですけど、そういう記録だけではないっていうかな。あまりにも偉大なレジェンド、って。すごい寂しさを感じますよね。
神山雄一郎所長(以後、神山) 矢作先生がおっしゃったように、中野さん井上さん滝澤さんの時代の後、吉岡君と僕と頑張って…。吉岡君は先に引退されて、僕が引退して本当にその時代が、平成が終わったんだな、と感じています。
矢作 本当にレジェンドですよね。
神山 晩年、残り10年くらいですかね、そう言われたのは。その前はそういう言葉もあまりなかった。選手や記者の方からみんなに言われるようになり、最初は恥ずかしかったんですけど、人間なれるものでだんだん当たり前になってきて、自分としてはうれしい響きでしたね。
――7月14~16日、26~28日に京王閣競輪場で3日制のGⅢが復活する
矢作 私はそのころの方がよく知ってますからね(笑い)。楽しみです。前節後節があって、前節が神山君、後節が吉岡君、とかね。そこは対戦はなかったんです。
神山 前節で吉岡君が優勝して自分が後節を走る時は、やっぱり意識してました。それに逆に自分が前節を優勝すれば後節を吉岡君が、と。お互い意識しながら記念は戦っていましたね。お互い同乗するのは年間6回ある特別競輪の決勝戦であるとか、オールスターのドリームレースとか、数えるほどしかなかったんですよね。
矢作 それが貴重でしたよね。SSができて、ちょっと同じようなメンバーで、スターが出てきづらいのかな。今でいうと古性優作君(100期)なんでしょうけど、神山君のような特別感までは…。
神山 たまたま僕の時は、東に僕がいて、西に吉岡君がいて、東西、っていう形でも余計浮き彫りになってましたね。
矢作 やっぱり吉岡君との話がありますけど、僕は山田裕仁君(61期)の馬をお預かりしてまして…。同期で、エース神山君とヒール役のような山田君という構図があって、どう見てたのかなって。神山君はグランドスラムを達成しているけど、グランプリを勝ててなくて、でも山田君はグランプリを3回勝っていて。
神山 基本同期なので仲良くて、ユウジは競輪学校の時は適正だったので成績も良くなくて、デビューしてコツコツ練習して強くなってきました。いつしか、僕と吉岡君に割って入るようになり、東の僕、西の吉岡君、そこに真ん中の中部の山田君という感じで意識してました。
矢作 グランプリはどうしても勝てなかった。4年連続2着(1995~1998年)ということがありましたよね。
神山 勝てなかったのは一生懸命やった結果なので受け入れるしかないんですが、2着4回取れなくていいから、1着1回取りたかったです。
矢作 ライバルだから、やっぱり飲みに行ったりとかはないの?
神山 ないんですよ。山田君が特進してきて、一番僕が覚えているのは、たぶん観音寺の記念だったと思うんですよ。一緒に決勝に乗ったんですけど、山田君が主導権を取って僕がまくりに回ってまくれずに、山田君の番手を回っていた井上さんが優勝したんですよ。そこで、やられた、という気持ちが強くて、その日…。今まで誰にも言ってないんですけど、オレ、寝れなかったです。寝れなくて、車の中で過ごして、たぶん泣いていたと思います。
矢作 すごい話ですね…。
☆かみやま・ゆういちろう 1968年4月7日生まれ、栃木県出身。作新学院高卒。1988年5月花月園競輪場で61期としてデビュー。第3代グランドスラマーであり、GⅠ優勝16回(歴代1位)、GⅡ優勝9回、GⅢ優勝99回、通算909勝(全2931走)など輪史に燦然と輝く実績を残した。生涯獲得賞金約29億3830万円。2024年12月24日、引退。選手引退後、日本競輪選手養成所の所長に就任した。
☆やはぎ・よしと 1961年3月20日生まれ、東京都出身。開成高卒。2005年に中央競馬会調教師として開業し3月26日にテンザンチーフで初勝利。JRAのGⅠ勝利は14回、地方GⅠ6回、海外GⅠ9回。2014年JRA賞(最多勝)など表彰多数。長年の、大の競輪ファンとしても知られる。