123、124期の新人選手にスポットを当てる「Challenge! 新人競輪選手紹介」。今回登場する田中会心(23=熊本)は、選手だった父の姿を見て輪界に憧れを抱いた二世レーサー。自他ともに認める叩き上げの努力家の成長過程に迫った。

 高校までは野球に没頭。母校の熊本国府高は今春のセンバツでも白星を挙げた強豪校で、「自分はずっとベンチ外でしたが(苦笑)」とプレーヤーとして実績を残すことはできなかったが、そんな名門で鍛えられたとあって体力には自信があった。そんな高校球児が「自分も父(公一朗=74期、引退)と同じ競輪選手になりたい!」と考えたのは自然な流れだった。

 高校卒業と同時にプロ入りを目指したがすぐに合格とはならず。「親には迷惑かけたけど、合格を目指してひたすら練習していました」。そのかいもあって3回目で競輪選手養成所の試験に合格した。

 しかし入所後も苦労は続く。「せめて1つは勝ちたかったんですが…」という思いはかなわず、在所中は白星を挙げることができなかった。

 不安いっぱいで迎えたプロ生活だったが3月末の時点で通算3V。予選、準決は高確率で1着を取るなど、まずまずのスタートを切った。師匠の合志正臣からは「とにかく前々に攻めるレースを。先行して逃げ切れる脚をつけなさい」とアドバイスを受けているようで、その教えを忠実に守って脚力アップに励んでいる。

「今は着よりもとにかく内容を重視しています。先行してまくられたり後ろに差されたら、もっと練習して脚をつけようってなりますし。(まくりに構えて)目先の1勝を取りにいったり、特進を狙うような〝そういう選手じゃないから〟と師匠からも言われていて、自分でもそれはわかっています(笑い)。今はあせらず、地道にこの走りを続けていこうと思っています。それに練習環境もすごくいいですし、強い方たちに揉まれながら、もっと成長できればなって思っています」

 ここまでは挫折や失敗、苦労が多かったが、数々のヤマ場を「努力できる能力」そして「持ち前の明るさ」でその都度乗り越えてきた。こういった叩き上げが、将来的に大成功を収めるというのはよくあること。「この1年間で精神力は強くなったと思います」と胸を張った努力家は「まだ不甲斐ない競走ばかりで〝会心〟のレースといえるものがない。いつか大きい舞台で〝会心〟のレースをしたいです!」と飛躍を誓った。

Q&A

――養成所に在籍時は名字が田中ではなく押田だった

 しばらくは母の旧姓の「押田」が本名だったんですが、競輪選手になったら父と同じ「田中」でデビューしようと決めていて、「田中」にしました。手続きが遅れてしまい養成所の卒業資料等では「押田」になっていますが。

――父に似ている?

 父を知っている方には「お父さんにそっくりだね」ってメッチャ言われます。特に笑った顔が似ているみたい。あっ、父は元気ですよ(笑い)。

――いま一番の願い

(某媒体で)嘉永泰斗さんや松岡辰泰さんが出ていたイケメンレーサーをピックアップする企画があったじゃないですか。あれに僕も出たいです! えっ、今はやっていない? その企画を復活させて僕を出してください!(笑い)

 ☆たなか・かいしん 2000年9月11日生まれ。173センチ、86キロ。熊本県出身。熊本国府高校卒業。父は田中公一朗(74期・引退)師匠は合志正臣(81期)。