125期、126期のルーキーを取り上げる「Challenge! 新人競輪選手紹介」。今回は〝回り道〟して輪界に舞い戻ってきた塩島嵩一朗(24=神奈川)が抱く「将来の夢」に迫った。

 すべての始まりは3歳の時の〝初体験〟だったのかもしれない。ビクビクっと震える竿先。ドキドキしながら糸を引き上げると、エサに1匹のザリガニが食らいついていた。

「その時から釣りにハマったんです」

 育ったのは横浜市旭区で海まで遠い。中学2年の時に父親からもらったのが1台のロードバイクだった。「メーカー名も分からない安物」だったそうだが、海釣りへ出かけるための移動手段として重宝した。

 中学時代は卓球部に所属するも「幽霊部員みたいなものだった」。高校からマジメにスポーツに取り組もうと思ったところ、同じくロードバイクに乗っていた友人から自転車競技の存在を知る。

 鹿屋体育大で野球に打ち込んだ父と鹿児島出身の母が「やるなら、しっかりした指導者がいて整った環境で」と勧めてくれたのは鹿児島の名門、南大隅高。ただ、両親の思いとは別に「神奈川の海しか知らない僕にとって鹿児島のきれいな海は魅力だった」と「釣りバカ日誌」のハマちゃんのような動機で進学先を決めた。

 もちろん入学後は自転車漬けの日々。釣りを楽しむ余裕はなかった。しかし、猛練習のおかげでインターハイの男子ケイリンで優勝するなど頭角を現す。明治大進学後は1年時に出場した全日本選手権のチームスプリントで優勝に貢献。インカレでも表彰台の常連となった。ただ「自転車競技のキツさは分かっていたし、体も小さいので」と卒業後の進路に選んだのはボートレースだった。

 夢を持って飛び込んだものの待っていたのは減量苦。養成所への入所に際して63キロから最低体重より1キロ軽い51キロまで絞ったが、無理がたたって摂食障害になった。1週間で退所を決めると、その後の20日間で今度は20キロも太ったという。

 覚悟を持って辞め、決意を持って戻ってきたからこそ自転車には真摯に向き合った。練習環境の整った〝古巣〟の鹿児島に戻って半年間の訓練を積み、競輪選手養成所には一発で合格。現在は師匠の小原太樹をはじめ、郡司浩平や新村穣、青野将大ら川崎所属のトップ選手たちと練習を重ね、時に北井佑季や松井宏佑に引きずり回されながら脚力強化に励んでいる。

 選手としての夢を問うと「GⅠで活躍する選手になること」と返ってきた。続けて「将来の夢」を尋ねると、目を輝かせてこう言った。

「やるだけやって、引退したら漁師になりたい」

 幸いにも小型船舶免許の2級は持っている。輪界でビッグタイトルを釣り上げれば、漁師になるために必要な船だって手にできるはずだ。

Q&A
 ――自慢の釣果

 塩島 相模湾で10キロぐらいの小さなマグロを釣ったことがあります。免許は持っているので自分で操船したりもします。

 ――日々の釣り活

 塩島 レースのない時は夕方に自宅近くの川で竿を振っています。狙いはシーバスです。

 ――本当に釣りがお好きで

 塩島 竿も自分でつくったりしています。

 ――賞金の使い道

 塩島 ほとんど貯金です。フレームとかパーツ類など競輪に必要なもの以外ではルアーを買うぐらいですかね。

☆しおじま・しゅういちろう 2000年1月12日生まれ。神奈川県出身。166センチ、70キロ。8月立川では完全Vで初優勝。直後の函館で落車し、人生初の骨折(右鎖骨)も経験した。