2004年グランプリ覇者・小野俊之(49=大分)の戦いが終わった。別府競輪ナイターFⅠ「ラブリン杯」は26日に最終日を行い、小野は2Rで3着。2408走目がラストランとなった。
レースは片山直人が先行し、番手の寺崎祐樹が仕事をしながら小野と3人、力を合わせた。小野は「最終日はグワ~~っと上がってくるものがありました。修正能力は高いと自分でも思っているので」と苦しかった前2走を踏まえ、最後の一戦に整えていた。
小野らしいヨコの動きが出るたびに検車場の選手たちからも歓声が上がり、最後の戦いにふさわしいものとなった。
「動けよ、体!」
一念を全身に集中させた走りだった。レース後は同期を中心に多くの選手が出迎え「レース前の選手もいるのにうれしかったです。同期の顔を見たらこみあげるものがあって泣きそうでしたが、まだレースを走る人がいるので我慢しました」と笑顔で答えた。
2004年のグランプリ優勝の時は「絶大な自信があった」と振り返る。「グランプリは3回しか出ていないけど、前の2回は佐世保記念で落車していた。優勝した時は熊本記念が前にあって、まさか神山(雄一郎、引退)さんが先行してくれて優勝できて。準備も完全にできていた。思い描く展開と走りで」。その後は7年間大きな結果は残せずという時期があった。
2408走、走り抜いたことを一番伝えたいのは「親父です」と話す。
「ウチは厳しかったけど、子供のころに別府競輪場に連れてきてもらい、小学校3年生のころには競輪選手になる、と。親父は床屋をやっていたけど、早朝なら時間があると、マンツーマンで練習に付き合ってくれた。親父がいたから強い小野俊之ができたんです」
そんな父・猛之さんは2011年10月共同通信社杯を勝つ前に亡くなっており「なんかグランプリの後、目指すものが…というものもあった。それに子供が生まれて何も取ってないな」と奮起し、グランプリから7年、GII優勝も手にした。
強い小野俊之――。それを支えたのはまた「別府のお客さまです」と続けた。ファンの声援があって、競輪の道を突き進むことができた。これからは解説の仕事に進み、またファンとともに競輪の世界を熱くしていく。