127期、128期のルーキーを紹介する「Challenge! 新人競輪選手紹介」。今回はロードレースから師匠・吉本哲郎に出会い選手を志した中田拓也(29=広島)に注目。熱い男の憧れと夢にも迫った。

 はきはきとした受け答え。写真をお願いすると必ずポーズを決める。常に周囲を明るくする、そんな男が競輪選手を目指したきっかけは、師匠との出会いにあった。

 高校までは野球部。夏休みのある日、漫画「弱虫ペダル」を手にして運命の歯車が動き始めた。「自転車競技があると知って、バイトして高額のロードバイクを買いました」。店員にショップ主催のレースに誘われて出場したが「ボロ負けでした」。野球部で鍛えた心と体に火が付いた。

 アマチュアから福岡のチームへ。インタープロサイクリングアカデミーに入り、海外でもレースに出場した。2018年からは兵庫のシマノレーシングに4年間所属。しかし、コロナウィルス罹患による長期治療などがあり、2022年での引退を考えていた。

「そんな時に広島のヴィクトワールに誘われたんです」。そこでチームに所属していた師匠の吉本哲郎と出会う。「広島競輪場が改修直前の時、バンクでスピードを経験しました」。そこから競輪選手へとハンドルを切る。

 養成所では127期の自治会長を務めた。「楽しく切磋琢磨できました」。本デビュー後はすでに4回の優勝を決めているが、ロード時代の癖がちょくちょく頭をのぞかせるという。

「ロードでは自力しか出してなくて逃げることに抵抗がないのは強みなんですが、集団での動きが怖くない分、無意識に余計な動きをしてしまう」

 11月の別府決勝がまさにそれで、最終4角で並走した同期水沢秀哉を横にけん制してともに落車してしまった。「ロードではもっと激しかった」と話すが、修正点はまだまだ多い。

 今後の目標は「先行逃げ切りができる徹底タイプで、身近では町田(太我・広島・117期)君ですね」と話した後で「でもどんな選手になる、というよりも〝唯一無二〟の選手になりたいなと思っています」とキッパリ語った。

 もうひとつ、彼には「人に喜んでもらいたいし、競輪のファンに見て欲しい、見に来てほしい」という思いがある。それが周囲にふりまく明るさになっている。「先日、アーチストのライブで横にいた観客の笑顔を見て、自分のレースを見に来た人が、1人でもそうなってくれればと思った」。どれだけ強くなってもこの男は変わらない。常に競輪界で〝唯一無二〟の存在であり続けるはずだ。

Q&A
 ――どんな子供だった

 中田 腕白で、車で行く距離を自転車で走ったり、小学校に入る前に道路で側転したり…。危ないからと母にスポーツクラブに入れられました。

 ――子供のころの夢は

 中田 競馬の騎手になりたかった時があって、今も武豊騎手が大好きです。

 ――武豊騎手も競輪好きで知られています

 中田 そうなんですよ。もっと強くなって、豊さんにも車券を買ってもらえるような選手になりたいですね。

☆なかた・たくや 1996年6月3日、福岡県北九州市出身。177センチ、81キロ。養成所順位は30位。師匠は吉本哲郎(84期)。趣味は競技力向上。「ケアグッズ、サプリ、マッサージや啓発本など、気が付いたら買ってます」。今月のレインボーカップチャレンジファイナル(伊東・14日)で1、2班への特別昇班を狙う。